『一番おいしいのはね、やっぱりこれだわ。』
テレビの画面に大写しに月山の板そばが出てきた時、びっくり仰天!!
みんなでワァーと手をたたきました。今年は板そばの年になりました。
9年前の春に、
「そばを入れるのに木箱は使えないか。」
とアイデアを出したのは、親友の渋谷和夫君(西川製材専務)でした。松田昌一君(西村山地方森林組合課長)と私と3人での酒飲み話で、杉の根元の木材活用論からでした。
「単なる箱ではもったいない。板そばの器としてセットにしよう。」
といったことになり、ちょうど森林組合の方でも『西山杉』のブランドを売り出す動きがあるので、それも取り入れてということで、話がまとまりました。
翌日、酒の上での話ではないことを確認し、具体化に向けて手分けして動き出しました。紙面の都合で苦心談は割愛いたしますが、私の青年会時代からの友人や、商工会、町役場商工観光課、県工業技術センター等の多くの方々のご指導とご協力によりまして、3ヶ月ほどで売れるものが出来上がりました。
発売したのは土産用として、月山や花笠ライン地区の売店でしたが、予想以上の反響でした。その後、デパートから贈答用の引き合いが入り、蓋付の新製品を開発して納品しました。中身のそばや箱のサイズ、デザイン等も改良を重ね、生そば入りのアイテムも加えて贈答用としての品ぞろえを充実してきました。
翌年(昭和61年)から3年間ほど、板そばのルーツを調べました。村山地方の何代も続いている有名な蕎麦屋さんのご主人から聞いてまわりました。その結果、
『やはりこれは山形の食文化のひとつで、大切にしていかねば』
との思いを強くいたしました。
その後、食の雑誌や週刊誌、ふるさと小包やデパートのカタログに当社の代表的製品のひとつとして載せていただき、通信販売等でも順調に育っていきました。
杉板の蓋に『月山そば』のラベルを貼るとき、茫然と見とれる木目模様に出会うことがあります。建築用材にならなくて山に捨て置かれた木材が、何人もの職人の心のこもった技能により、生き生きと光っているのです。
『この器に負けないようなそばを、自分は打っているのか。』
と自問をくりかえし、反省の日々です。
一生の課題となる気がしております。
[あがぁしゃぇ 14号/1993年11月、玉谷信義 記]